金八(かねはち)のお話

初代は明治6年生まれの清水与八(2月10日生まれ水瓶座、次男)さんが
明治33年に浦佐で鍛冶屋を始めました。
金物の「金」と与八の「八」を合わせて金八(かねはち)という屋号になりました。


2代目は、15才の時に父親(与八)が亡くなったため
少し離れた地域の鍛冶屋に住み込みで弟子入りし
そこで修行を積んだ後自宅に戻り金八製作所を始めました。


3代目が仕事を始めてから、日本は高度成長期になり
電気溶接も取り入れ、土木建築業の仕事にも関わるようになりました。


その頃、家庭用金物の生産が盛んな新潟県の燕三条の問屋さんから
金物店を本格的にやってみないかという声があり
1970年頃から、金八製作所と併設して金八金物店も営むことになりました。
2006年に製作所は今の4代目の変わりました。